2011年度会員年間業績を公開しました
| 会員年間業績 / 学会イベント / 活動記録 | 2012年3月7日(水)
2011年度会員年間業績リスト(2011年1月-12月)を公開しました。
広い意味での西洋中世(古代末期-近世、イスラーム、ユダヤ、中東アジアなども含む)に関する刊行された業績をお知らせいただいたものです(氏名=五十音順)。
なお、リスト作成に際しては、会員の皆様にお手数いただきました。お礼申し上げます。
活動記録
| 会員年間業績 / 学会イベント / 活動記録 | 2012年3月7日(水)
2011年度会員年間業績リスト(2011年1月-12月)を公開しました。
広い意味での西洋中世(古代末期-近世、イスラーム、ユダヤ、中東アジアなども含む)に関する刊行された業績をお知らせいただいたものです(氏名=五十音順)。
なお、リスト作成に際しては、会員の皆様にお手数いただきました。お礼申し上げます。
| 学会イベント / 活動記録 | 2011年10月3日(月)
2011年8月30日の午後、上記のイベントが、慶應義塾大学日吉キャンパスを会場にして開催されました。ポスター・セッションは人文系の学会ではいまだ一般的になっているとは言えませんが、本イベントは、参加の敷居は低く、形式はカジュアルに、しかし深い意見交換を可能にするフォーマットとしてポスター・セッションを活用することで、学術的コミュニケーションの新しい可能性を模索することを目指しました。加えて、ダンテ研究者でありつつ、『チェーザレ-破壊の創造者』の監修者として時代考証にあたられている原基晶さんにお話しいただきました(開催企図などの詳細については、案内のサイトをご覧ください)。当日は92名の参加者を数え、盛況を博しました。また、Ustreamで中継された原さんのトークにも100名を超える視聴者がありました。
以下、二名の方の参加記とアンケートに記入された報告者と参加者の感想を掲載します。なお、ポスター報告者およびポスターのタイトルは以下の通りです。
2011年8月30日、慶應義塾大学日吉キャンパスで西洋中世学会ポスター・セッションが開催され、私も報告する機会を得るができた。ここでは、修士1年の報告者という立場からポスター・セッションを振り返ってみたい。
人文科学の分野ではポスター報告はまだ珍しく、私自身も発表することはもちろんのこと、聞く側としても参加したことがなかったので、何もかも手探りの状態だった。しかし、感想を一言で表わすならば「報告して良かった」に尽きる。まず、報告の準備段階で、すでに一定の成果が感じられた。報告するためには当然テーマを絞り込まねばならないが、使う史料は決まっていたもののテーマは漠として定まらないような状態であった。しかし、報告をしなければならないという前提で文献を読むと、そうでない状態に比べてはるかに高い問題意識を持って取り組むことができ、普段は何気なくやり過ごしてしまうような重要な点に気がついたりした。また、周囲にいる諸先生の助けを借りて報告内容を作成していくうちに、問題がより特化されていき、それを解くための手続きが次第に明確になっていくことも感じられた。
そして、実際の報告の場も大変有意義な時であった。ポスター報告の何よりの特徴は、報告者と聞き手の「近さ」である。それゆえ、大きな会場の発表では一方通行になりがちなやりとりが、ここでは「議論」という形になる。確かに、私が一通り説明し、聞き手の方が質問し、それに私が答えるという一応の定石はある。しかしその定石は捨て去るべくして存在しているようなものであり、それがポスター報告の醍醐味であろう。例えば、私も聞き手の側に質問できる。私の説明を途中で遮って聞き手の方が質問したり合の手を入れたりするのもありである。このような、一往復では終わらない、何度もやりとりされる議論を通じて、自分の考えが深まっていくことが実感できた。また、普段は発表を聞いていただくことの叶わないような方々に、私の発表を聞いてもらえたことも大変大きかった。テーマは似ているけど時代や地域が違う方、地域は同じだけれどもテーマが違う方、あるいは、単純に遠くに所在している方。このような方々に発表を聞いていただく機会はほとんどないが、こういう方々の意見こそがアイディアの宝庫であり、普段はあり得ないような思考のスイッチが入ることがある。実際、今後の研究に役立つような貴重な意見を多く頂戴することができた。分野を横断した西洋中世学会の素晴らしい長所の一つであろう。
もちろん、以上のような良い点だけでなく、反省すべき点もいくつもあった。一つは、ポスターという媒体の性質や利点を上手く利用できなかったことである。私の作ったポスターや発表のやり方は、ただ単にレジュメを使用した発表とほとんど変わらないものであり、A0のスペースを視覚的アピールのために使うことができなかった。二つ目は、興味のある他の報告を聞くことができなかったことである。「ポスター作成についてのガイドライン」にはその対処についても言及されていたが、私の準備不足と当日の会場の雰囲気に飲まれてしまったため、上手に行動することができなかった。
他にも反省点はあるが、それらを踏まえても、総じてとても有益なポスター・セッションであった。研究のテーマが絞り込めていないような修士1年のすべての方々に、報告することをお勧めしたい。私自身、もしも機会が与えられれば、今回の反省を活かしてまた挑戦したいと思っている。
8月30日に行われた2011年度西洋中世学会若手支援セミナー企画はあいにくの猛暑に見舞われたが、多くの参加者が昼の強い日差しと午睡の誘惑を押して慶應義塾大学日吉キャンパスに集った。夏期休暇中ということで出張から帰ったばかりの者や留学から一時帰国中の者などもおり、また学会員でなくとも出席できる催しであったため、参加者の顔ぶれは多様であった。
前半のポスター・セッションの目的はカジュアルながらも深い議論を促進することである。多くの発表者がポスターの前で話した後に質問を受け付ける形式をとっており、配布資料を用いる者もいた。疑問があれば発表者が解説をしている途中でもその都度話を遮って質問をすることができるなど、発表トピックについてよく知らない者でも理解を深められる一方、専門的知識のある者は細部について綿密な議論を持ちかけることも可能であり、聞き手にとっては気軽に議論が楽しめる形式であると言えるであろう。アンケート等の感想を見る限り、発表者にとっても口頭発表に比べてより深い議論ができるという利点があったようである。
このようにポスター・セッションには大きな長所がある一方、いくつか改善すべき点も見受けられた。ここでは二点を指摘しておきたい。ひとつは運営に関する技術的な問題である。今回はあまり見られなかったが、美術史の中でも大量の図像を使用する分野、あるいは動画・音源を使う演劇史・音楽史などはポスター以外にラップトップなどのプレゼンテーション機器を持ち込む必要があると考えられ、今後は電源の確保や再生機器が発する音への対策など技術的な面で取り組まねばならない部分があるであろう。もうひとつの課題として発表者のプレゼンテーション技術の向上をあげておきたい。ポスター発表は人文系ではあまり行われていない発表形態であるため、慣れない画像資料や文献表などの扱いに苦心している発表者も見受けられた。発表者はポスターのみならず配布資料についても情報の盛り込みすぎを避けてポイントをひとつにしぼり、煩雑な部分については図表を活用する必要があるであろう。
後半に実施された原基晶さんのトークは時代考証の話題から始まり、最後は原さん本人の生まれたばかりの息子にからめて生と死の話題へ発展する印象的な講演であった。しかしながら、時代考証に関する技術的問題やフィクションにおける歴史の扱いを主題とする催しであるにもかかわらず、前半で細かいイタリア史の知識に関する話題が多かったのは、必ずしも漫画を読んでいるわけではない聴衆(ネット中継の聴講者も含めて)にとってはわかりづらかったようにも思えた。このようなイベントは作り手と読み手が対面で切り結ぶ稀な機会であり、今後このような催しが再び行われるならばさらなる双方のインタラクションを期待したいところである。
今回のセミナーは、改善点はいくつか見受けられるものの全体としては学術情報の伝達について様々な示唆を与えてくれる有意義な催しであった。資料による裏付けがなく派手なプレゼンテーションだけで自らを売り込むニセ科学や歴史修正主義が跋扈する21世紀の社会においては、専門家でない人々に対して単純化を避けつつわかりやすく証拠を提示しコミュニケーションをはかる能力がますます研究者に求められるようになっている。今後もこのようなプレゼンテーションの意義を考えさせられる企画の継続を期待したいところである。
以上
| 会員年間業績 / 学会イベント / 活動記録 | 2011年4月16日(土)
2010年度会員年間業績リスト(2010年1月-12月)を公開しました。
広い意味での西洋中世(古代末期-近世、イスラーム、ユダヤ、中東アジアなども含む)に関する刊行された業績をお知らせいただいたものです(氏名=五十音順)。
なお、リスト作成に際しては、会員の皆様にお手数いただきました。お礼申し上げます。
| 学会イベント / 活動記録 | 2011年4月15日(金)
2010年度の若手支援セミナーは、2011年3月4日(金)に東京大学駒場キャンパスで開催されました。
今回の若手セミナーは「文書館で西洋中世研究」をテーマとして、大学院生を中心とした若手研究者にとって関心が強い「文書館」の利用方法や、そこで得た史資料の分析方法などについての講演や報告、そして会場全体によるラウンドテーブルが行われました。平日にもかかわらず、62名(内、学部・大学院生は35名)の方々にご参加いただきました。厚く御礼申し上げます。
また、このセミナーでは実験的な試みとして、講演と報告をインターネット中継いたしました。最大時は、50名の方々にご覧いただきました。
ここでは、参加いただきました大学院生の方々の参加記と、当日採りましたアンケートの結果を掲載いたします。
春一番から一週間後のまだ肌寒さの残る春は弥生の3月4日、東京大学駒場キャンパスにおいて若手支援セミナー「文書館で西洋中世研究」が開催されました。今回のセミナーでは、新奇の試みとしてインターネット同時中継も導入され、私自身も職場で当該中継を少し拝見させて頂いてから実際に会場に行って報告を聞かせて頂く運びとなりました。一昨年の史料講読セミナーや若手交流セミナーでのポスターセッションなどと同様に、比較的新しく誕生した学際的な学会として積極的に新たな試みに挑戦する姿勢が窺われます。
会場に着くとすでにほぼ満席でセミナーの盛況ぶりを実感しました。実際に聞くことができたのは大貫俊夫氏と中谷惣氏の報告のみであったため、佐々井真知氏と山本成生氏の報告を十分に聞くことができなかったのは心残りですが、普段は専ら校訂版テクストに基づいて研究を行っている異分野の身には、実際に現地の文書館で史料収集をされている歴史学の研究者の方々からその利用方法について直接お話しを伺うことができ、非常に貴重な体験となりました。異なる学問分野の研究手法であっても、そうした手法を自らの分野に取り入れることで学問の幅が広がる可能性を感じました。
各報告の後のラウンドテーブルでは、赤江雄一氏の司会のもと、偽文書の確定、第三者による史料の正当性の検証に伴う困難といった問題、Webが発達した状況において史料やその訳などが共有される可能性、研究生活の心構えなど、フロアから出た質問やコメントについて活発な議論が交わされました。とりわけ、偽書も一つの歴史的産物であるということに関連して、岡崎敦氏が「人間はまちがえる。だからこそ研究の余地がある」という趣旨のことをおっしゃっていたのが印象的でした。また、文書館に行く前の調査の程度(事前に入念に調査or現地に行ってひたすら史料と向き合う)やデータ整理の仕方(欧文or日本語)などの点では報告者間でスタンスが異なり、興味深く聞かせて頂きました。ラウンドテーブルでは、いかにして知を継承し、いかにして世界に発信していくかということが研究者の課題として浮かび上がったように思いました。
ラウンドテーブル後には懇親会が開かれ、研究者相互の親睦が深められました。今回のセミナーは西洋中世学会の第一回大会と同じ会場であったため、当時の興奮がときを経たいま静かに思い返され、同時に、学会の今後の潜在的な可能性の大きさが伝わってくるものでした。
2010年度の若手支援セミナーの目的は、海外の文書館を利用して研究する際に必要となる基本的情報の共有であった。1人の講演者と4人の報告者が自分の調査経験をもとに文書館での作業をいかに学術的成果へと結実させていったかを率直に語ってくれた。その全体的報告はすでに別の場所でまとめられているので、ここではセミナーでかわされた議論のなかから読者に特に伝えられるべきと思われる2点に絞って記録として残しておくことにしたい。
第1点は報告者の多くが文書からえられた情報を表にまとめることの重要性を説いていたことである。これは読者には自明のことと思われるかもしれない。しかし科学や哲学の歴史を調査している私には強い印象を残した。このような点が強調されるのは扱う資料の性質に由来するのだと思われる。たとえば裁判、商業取引、遺言といった文書はそれぞれに一定の記述パターンが見られ、調査に際してはそのパターンにそって情報を抽出し、表の形で集約することが不可欠となる。思うにこの文書から表への移しかえの技法は(古書体学と並んで)、文書館を用いる研究の核をなしながら、先達から後進への伝達が難しいという性質を持つ。というのも最適な表のあり方は史料の性質や研究者の着眼点・好みによって決定されるため、一般的に利用可能なフォーマットのようなものはないからである。しかしそれでもたとえば学会内部で史料の種類ごとに研究者たちが作成した表を共有し、参考に供することは有益なことのように思われる。
表を作成することは一定量の文書群を読み解くことを前提とする。ここで記しておきたい第2の点はこの文書群の選定に際して指導教員が果たすべき役割にかかわる(以下の点は報告者である大貫俊夫氏の問題提起を私が理解した限りで敷衍したものである)。論文作成指導ではしばしばテーマを明確にすることが最初に求められる。しかし本誌の読者の多くが経験していることと思われるが、歴史研究では史料の読み込みをつうじてはじめて主張が明確化することが多い。とりわけ当該領域での研究経験の浅い若手の場合にこの傾向が著しいように思われる。したがってそのような若手がまず必要とするのは、力量と時間の範囲内で手に負える文書群の選択を可能にしてくれる助言である。このことによく留意すべきというのが、支援する側の教員が本セミナーから学ぶべき点であったと思われる。
以上で取りあげた2点はともに研究の成果ではなく過程にかかわる。それは若手の成長にとって論文作成の実践をかいま見ることは、完成した作品を読みこむことに劣らず重要だと私が考えるからである。そのような成長を可能にする場として本セミナーのような先駆的試みが行われたことは、因習から自由な西洋中世学会ならではのことであった。一参加者として実現に尽力されたすべての人に感謝したい。
以上です。次回以降の若手セミナーも、どうぞよろしくお願いいたします。