『西洋中世文化事典』特別寄稿文 その2

学会情報

西洋中世学会創設の経緯(高山博)

西洋中世学会編『西洋中世文化事典』が2024年11月に刊行されました。編集に携わっていただいた方々、寄稿していただいた皆さん、お疲れさまでした。「学術水準を維持しつつ平易な表現を心がけ」て編まれたこの「読む事典」が、西洋中世の魅力を多くの読者に伝えてくれることを強く願っています。そして、読者一人ひとりが、今の世界と比較して、その違いと特徴を考え、自らの立ち位置を確認する契機となることを祈念しています。

さて、この出版を記念する特設ページへの一文を依頼するメールには「中世学会への思いなども含めて」とありましたので、西洋中世学会創設の経緯と、当時考えていたことを記させていただこうと思います。西洋中世学会の公式の設立は2009年4月1日ですが、池上俊一さんと私の二人で学会設立の基本プランを検討し始めたのは、その3年前の2006年でした。ほぼ1年かけて学会の大まかな組織や事業のプランを描きました。その時、一番参考にしたのは、1925年に創設されたアメリカの中世学会Medieval Academy of America(MAA)でした。私は、学生時代、西洋中世研究に関する海外の最新情報の多くをその学会誌Speculumから得ており、来年で創設100年を迎えるこの学会が私たちの目指すべき学会のように思えていました(私たちの学会設立時にはMAAの会長からお祝いの書状が届きました)。

翌2007年には準備委員会(68名の準備委員)を組織し、5回の準備委員会会合(2008年6月、7月、11月、2008年3月、11月)を経て、学会の規約や組織、事業内容の細部が決まりました。学会の事業を行うためには学会設立前から準備が必要ですので、その中心となる事務局は、学会設立の1年前の2008年4月1日に設置し、池上俊一さんが事務局長、私が事務局次長として、必要な業務を行うことになりました(従って、最初の事務局長、事務局次長の任期は学会設立前の2008年度から設立後の2009年度までの2年間となります)。

欧米では西洋中世を研究するための道具類や資料に関する情報が整理され、それらを具体的に教えてくれる書物がたくさんありますし、中世ラテン語を集中的に教えるセミナーなど、大学の枠を超えた教育も行われています。しかし、わが国にはそのような研究者間の協力体制がなく、研究者一人一人が個人で一から学習していかなくてはなりませんでした。これは、研究者にとっては、非常に大きなハンディキャップであり、国際的に競争できるようになるためには、研究者を志望する人たちのための研究入門書を作り、西洋中世研究者が交流できる学会を組織することが不可欠だと思っていました。

西洋中世学会のような学会組織がないことによる不都合は多くの同僚たちが感じていたのではないかと思います。日本で西洋中世を研究している人たちの間での情報交換はあまり行われていませんでしたし、海外から西洋中世の専門家が来た時に、それを受け入れる西洋中世研究者たちの受け皿もありませんでした。日本から海外に出かける時も、海外の研究者と接触する時も、自分の先生や先輩の個人的な人間関係に頼らざるをえないという状況でした。このような不都合をなくすためには、西洋中世を研究している人たちの組織がどうしても必要だと思いました。

2005年に西洋中世研究者のための研究入門書『西洋中世学入門』(高山博・池上俊一編)を出版した後、西洋中世研究者たちの学会を立ち上げる仕事が残っていることを強く意識しました。10年近くかかった『西洋中世学入門』が出版できたので気分が高揚していたのかもしれませんし、その年に50歳になることを意識していたのかもしれません。池上さんに相談して、次の世代のためにあと一つだけ一緒に仕事をしようということになりました。この機会を逃せば、自分たちの気力・体力は衰えるし、二人でやることも難しくなるだろう。一人でやるのは無理だけど、二人でだったら何とか頑張れるんじゃないか、と話したように思います。

二人とも西洋中世に関心のある人は誰でも、あまり不快感を感じずに活動ができる学会にしたいという思いがありましたので、異なる考えを持っている多様な方たちに広く協力をお願いしなくてはならないと思っていました。そのため、民主的な手続きを重視すると同時に、できるだけワーキング・グループや準備委員の間で議論していただき、それをもとに全体の意思決定を行うよう努めました。西洋中世学会は、皆が情報交換して刺激を得られる場であってほしいし、お互いに益を与えあえる組織であってほしいと思っています。ディシプリンを異にする中世研究者たちとも交わって一人では見えなかった世界が見えてくるような場であってほしいと思っています。今回の西洋中世学会編『西洋中世文化事典』の刊行は、そのような思いが結実した好例だと考えています。

高山博 (東京大学名誉教授、Corresponding Fellow of Medieval Academy of America)

西洋中世学会と『西洋中世文化事典』(松田隆美)

西洋中世学会は、その創設以来、全国大会やセミナーを通じて、西洋中世に興味をもつ会員に交流の場を提供し続けてきた。そうした活動の基底には、西洋中世研究は本質的に領域横断的なディシプリンで、歴史、思想史、美術史、文学、音楽、建築などと伝統的に領域が区分されているとはいえ、境界を越えてゆくことで研究を育てられるという認識がおそらく存在している。とはいえ、会員にはそれぞれに研究の中心となるフィールドや言語があり、一人の研究者がその知性と身体に中世の全てを取り込むことはできず、2つの領域にまたがって研究するだけでも容易ではない。中世研究者にできることは、中世の知識人の顰みに倣って、会員間で交流の網目を張り巡らすことで、発想や方法論を紹介しあうことだろう。

今回上梓された『西洋中世文化事典』は、すべての分野の会員が関わった共同作業で、日本における西洋中世研究のネットワークの成果である。こうした事典では項目となるキーワードや概念の選択が重要だ。21世紀になった頃から、さまざまな中世文学案内をみても、伝統的な言語やジャンル、人物、時代区分など、固定化された既存の項目割りにかわって、西洋思想史事典(Dictionary of the History of Ideas)を連想させるような、キーワードでのカテゴリー化が主流となっている。項目の選定はそのまま切り口の提示であり、編集委員がコロナ下で頭を悩ませた結果、一般読者が丁度よい曖昧さとともにイメージできる西洋中世への扉が勢揃いした。

丸善出版の「読む事典」というコンセプトに則って、選び抜かれて、ゆるやかにカテゴリー化された全部で280ほどの項目は、それぞれ一息で読める見開き2ページで完結する。コピーもしやすいので、授業で学生に配布するにも便利で、西洋中世への興味をさまざまな読者を対象に育んでくれるだろう。

松田隆美(慶應義塾大学名誉教授)

『西洋中世文化事典』と「生命の泉に集う鳥たち」(金沢百枝)

『西洋中世文化事典』の表紙に、小さいけれども金色に輝く学会ロゴのMがあることに気づかれた方は少ないかもしれません。『西洋中世研究』の創刊号(2009年)に、この学会ロゴについて書かせていただきましたので、ここでは詳細を繰り返しませんが、中世=MedievalのMを象るこのロゴは、12世紀半ば頃、トスカナ地方で制作されたとされる『パウロ書簡注解』の一葉のMを原図としています。「生命の泉」と呼ばれる図像のバリエーションのひとつ。鳥たちの集う泉のように中世研究を介して学徒が集う「場」となることを願って作ったロゴでした。

この制作にかかわったことから、ロマネスク聖堂調査中に「生命の泉」というこの図像を見かけるたびに嬉しく思い出して撮影しています。たとえば、とくに印象的だったのはコロナ禍直前に行った南西フランス、アヴァンティンという小村で見た洗礼盤です。上下ダブルで刻まれていました。まったくの繰り返しなのが他に例がなく、おもしろい。

初期キリスト教時代から、信者の魂をあらわす小鳥たちや永遠の生命をもつ孔雀は聖堂装飾につかわれてきました。祭壇障壁や洗礼槽や祭壇を覆うキボリウムなどに刻まれてきたのです。水盤やカンタロス、泉などに集まる小鳥や動物たちの姿は洗礼を求め、永遠の生命を得ようとする人びとの姿を映して、初期ビザンティンの聖堂では舗床モザイクに用いられ、カロリング期の装飾写本に描かれてきました。6世紀以降、ビザンティン美術に多く用いられたので、東はシリア、アルメニア、コプト、ブルガリア、8世紀イタリア半島のランゴバルド美術から、12世紀のロマネスク美術まで広く見ることができる図像です。中心にある「泉」の水を、左右の孔雀が飲む図像です。ロゴの鳥は孔雀からは大きく離れていますが、ヴェネツィア近郊トルチェッロ島にあるビザンティン風の祭壇障壁を見ると、柱頭上にある器に向かっている2羽が孔雀だったとわかるかと思います。

「生命の泉」祭壇障壁、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂、トルチェッロ島、12世紀

西洋中世学会は、学会発足準備中からかかわったこともあって、わたしが所属しているいくつかの学会のなかでも、最も思い入れのある学会です。新しいこの学会の運営にかかわってきた方がたが、良い「場」にしようと四苦八苦していたことも目の当たりにしています。たとえば若手研究者をサポートする若手セミナーを定期的に開催し、学会運営に携わる学生や院生の「ボランティア」をやめて有償にし、学会時に保育所を設けるなどして、若手の研究活動を支持してきました。暖かく見守り、応援してくださった年配の先生がたの支持なしではできなかったことです。この事典の執筆者を見れば、その「若手」がいきいきと仕事をしているようすが伝わってくるでしょう。「事典」というより、厚い読み物のようなこの本には、ページをめくるたびに、「この項は誰が書いたのだろう」と思いめぐらすたのしみがあります。それはまさに、西洋中世学会という「泉」に集まった「小鳥たち」が謳歌する小宇宙なのです。まだ「孔雀」ではないかもしれないけれども。

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